どもどもども、機械屋本舗っす。
最近のネット上では最大級のネタとも言える「電車男」。会長、知らなかったですよね。
この、「電車男」が早々に映画化されることが決まったとか・・・。“え!え!!え!!!”て感じ。
この話知ってる人は知ってるわけで、改めて説明も要らないでしょうが、
“アキバちゃん”と言われる典型的オタクタイプの男がひょんなきっかけから彼女をゲットし、
無事ゴールするまでの経緯を2chのスレッド上で綴る一応実話とされる物語。
まあ、本当に事実として伝えられる事柄には色々異説もありますが、
その辺はここでは軽く流して・・・。
こいつの話題の最大のポイントは、典型的オタクべったりで
言うてもお洒落でもトレンディでもない小汚い男の純愛物語扱いされている点。
しかも、ともすると書き捨て・暴言ばかりとなりやすいネットの匿名掲示板上での、
不特定多数からの真摯な支援・応援による状況の進捗と言う、今日的生な事態進行。
この2点からくる二重の意味での現代的伝説としての
“一般的な意味で言うところの有り得なさ”からくる価値。
その、伝説としての価値である。
まさに、今現在の都市伝説そのものと言うにふさわしい・・・。
それがさっそく映画化されるのだそーな。早い、早すぎるよセイラさん!
しかしまあ、これが早々に映画化されるのは納得もいくよな。
そもそも、元ネタである「電車男」の物語が匿名掲示板と言うネット上の都市伝説でるがため、
厳密な意味での事実の確認が不可能であること。
そして、それが話の内容について実話かどうかの追及を無意味化している。
我々は、近現代において発生した話は、間違いのない事実か、作られた物語か、
そのどちらか一方でしかない状況の中で生きてきた。それが、近代化された文明の証左であると。
がしかし、ここにおいてネット上の都市伝説化することによって事実か否か
また判らない事態と言うものに再度相見えることになったわけである。
つまりは、それが隠喩としての“伝説”ではなく、
正真正銘本物としての“伝説”と成えたということである。
まるで、“発達し過ぎた科学は魔法とかわらなく見える”という
SFの基本法則の1つを思い出されてしまう・・・。
我々は、通信と言う技術を発達させたため、ネットと言う
ジャングルの暗やみに再び入り込んでしまったのだ。
そこは、恐怖と呪術と迷信の支配する原始な世界なのだから・・・。